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4月13日 Written by:JNR583
4月29日 Written by:JNR583
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本当にネタがないです。
どうもJNR583です。
基本的に鉄道は家の外を走るものです(模型は除く)。
ですので外出禁止令が出ている現在は何の活動もできないわけです(模型鉄を除く)。
ということはネタなんてあるわけもないわけです。日記更新頻度の低下は必至ですね。
さて、そんな感じで書き始めたのはいいもののネタは湧いてきませんので、昔の話をしましょう。
せっかくなんでタイムリーな話題を。
今日は能勢電鉄最初の開業区間、川西能勢口─一の鳥居間が開業した日らしいです。
関西の大私鉄、阪急電鉄の子会社というか、ほぼ一つの同じ会社のような能勢電鉄。
車両も阪急の車両を用い、川西能勢口駅ではホームも共用し、一部の特急列車も直通運転を行うなど、ほぼ「阪急能勢線」といってもいいくらいの子会社っぷりです。
そんな能勢電鉄ですが、規模が小さいようで実は鉄道路線を2つもっています。(じつはケーブルカーとリフトも持っている。)
そんな阪急のもとでぬくぬくと育ってきたように見える能勢電鉄ですが、廃止区間が一つだけあります。
それは、川西能勢口駅とJR川西池田駅(廃止当時は国鉄だったため、川西国鉄前駅を名乗っていた。)を結ぶ妙見線の一分です。
なぜ割と需要のありそうな駅と駅を連絡する路線が廃止されたのでしょうか?
地図を見てみましょう、両駅は1kmも離れていません。徒歩連絡でも十分可能ということでしょうか、
まあそれもありますが当時は国鉄末期、接続先の川西池田駅にも列車は一日に17本しか来ず、しかも半分くらいは客車列車という体たらくでしたから、利用も見込めないわけです。
ちなみん当時の阪急電鉄はというと、日中でも7-8分間隔で走っており、国鉄は土俵にすら上がっていない状態でした。
というわけでそんな不便な国鉄に乗り換える人も少なく、木造者を鋼体化したポール(のちにパンタグラフ)で集電する車両が一日5往復するだけのド田舎路線となっていました。<br>
そしてそのレベルの路線でしたから、昭和の末には廃止になりましたとさ。
しりとり
おはようございます、JNR583です。
札沼線が前倒しで廃止されてしまいました。正しくは休止ですが、一応JR北海道の路線として残ってはいますが、もう復活することはないので事実上に廃止ということでしょう。
現在の情勢を鑑みるとしょうがないことですが、非常に残念な終わり方です……。
余談ですが鉄道路線の休止は珍しいことではなく、戦時中は不要不急として休止になった路線がたくさんあり、線路を剥がして重要路線の建設に使ったりしていました。
戦争以外にも自然災害で運行不能になり休止になったりしますし、そのまま復活せずに全線廃止というのもよくある話です。
今回はそんな札沼線についてお話ししていこうと思います。
札沼線は、札幌(桑園)と石狩沼田を結ぶ路線として開業しました。
しかしその後、新十津川-石狩沼田間は函館本線に並走しているため廃止され、さらに今回は石狩当別駅の隣、北海道医療大学駅から新十津川駅までの間、約50kmが廃止になりました。
一日当の本数は以下の通り(カッコ内はその区間の本数(下/上))
北海道医療大学-(8/7)-石狩月形-(6/6)-浦臼-(1/1)-新十津川
末端区間は「日本一早い終電」として話題のとおり一日一本です。(電車でないというツッコミは聞き飽きました。)
ちなみに手元にある資料によると1981年現在の本数は以下の通り。(北海道医療大学駅は未開業)
石狩当別-(9/9)-石狩月形-(8/8)-浦臼-(7/6)-新十津川
昔は一応本数はあったみたいですね。ですが石狩当別-札幌間も非電化且つ14本と少なく、電車が頻繁に走る現在とは大きな違いです。
手元にある資料で語れることはこんくらいです。
あとは、主要駅の紹介でも。
向こうでタクシーを使う機会があり(案の定財布が崩壊しました)、そのときに運ちゃんと少しお話ししました。
タクシーという鉄道と競合する交通機関ではありますが、その運転手さんも「なくなると思うとやっぱり寂しい」と仰っていました。
鉄道を代替したバスでさえ経営困難になっている中、交通機関のあり方を見直しべきかもしれません。
今度の旅行は、ぜひ公共交通機関で行ってみてはいかがでしょうか?せっかくコロナ自粛で大気汚染が改善されたのを、もう少し味わっていたいので。
しりとり